令和8年3月10日 会報「桐の花」第106号 ―目次― 桐の花第106号発行にあたって・・・・・・・・・・・1 事務局からのお知らせ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・4 事業所だより・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・6 〜特集・東日本大震災から15年〜 東日本大震災から15年・・・・・・・・・・・・・・・・・・・8 震災15年目にして思うこと・・・・・・・・・・・・・・・10 3.11あれから15年防災を考えて・・・・・13 福祉協会協力金・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・15 編集後記・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・16 編集発行社会福祉法人岩手県視覚障害者福祉協会事務局 責任者及川清隆 住所〒020−0015 盛岡市本町通3丁目6−20岩手県視覚障害者福祉会館内 電話・FAX019−652−7787 電話(2階)019−629−3434 ホームページhttp://www.iwate-sfk.com/ 郵便振替口座02250−4−53987 社会福祉法人岩手県視覚障害者福祉協会 私達が目指すもの ○視覚障がい者の自立支援 私達は、視覚障がい者の安全・安心な暮らしを支援すると共に、按摩・マッサージ・指圧、鍼、灸の職業の自立支援を目指します。 ○視覚障がい者本位の生活支援 私達は、視覚障がいがある人の個々の特性を尊重し、求められる日常生活向上の支援を目指します。 ○開かれた経営 私達は、企業的発想を持ち、施設利用者や地域の意見を尊重すると共に情報を開示し、公共的・公益的立場に立った、開かれた経営を目指します。 ○障がい者福祉の一体化活動 私達は、視覚障がい者福祉活動を基本としながら、障がいの種別や程度を越えて、障がい者の仲間と共に障がい者福祉の活動を目指します。 ○地域と共生の福祉活動 私達は、地域と連携しながら共生し、障がい当事者や地域のニーズの実現を図ると共に、掲げた活動理念の実現を目指します。 会報桐の花第106号発行にあたって 理事長・会長及川清隆 〜忘れない、あの東日本大震災・大津波から もう15年!〜 読者の皆様こんにちは、このところ徐々に春めいてきた昨今ですがお元気でお過ごしでしょうか。平素より、当法人へのご支援ご協力に心より御礼申し上げます。 早いもので、あの未曽有の東日本大震災・大津波から15年になります。3月11日の震災祈念日には、読者の皆様と共に亡くなられた方々へのご冥福をお祈りいたしたいと思います。そして、岩手県の視覚障害者35名が命を落としたことも忘れないようにしたいと思います。この会報に「東日本大震災から15年」として、投稿いただいた原稿を掲載しましたので、是非お読み下さい。 今回は、2点について書きます。 1点目は、按摩マッサージ指圧師はり師きゅう師(以下、「あはき師」と記す)国家試験のあり方についてです。私は、2月6日に昨年の4月1日開校した、「仙台赤門短期大学」の校舎を見学してきました。その時、校長の坂本浩樹(さかもとひろき)氏と、将来のあはき師の資格試験や手技療法の将来について、懇談する機会がありました。 懇談の論点は3点でした。 一つ目は、平成5年からあはき師国家試験になって実技がなくなったことについてです。実技試験がなくなったことで、以来手技療法の技術力が落ちていること。その結果、あはきの技術が伝承されなくなるということ。 二つ目は、早期に国家試験に実技試験を復活すること。柔道整復師試験にも実技試験がありますし、看護師試験にも実技試験はあります。あはき師国家試験に実技試験がなくなった理由はあるようですが、どうしてあはき師にだけ実技試験がないのか疑問です。試験官の人材育成と試験の手法を考えればできないはずがないのです。紙面に限りがあるので、詳細については触れませんがあはき業団体や学校が結束して取り組むべき、大きな課題であると意見が一致したのです。 三つ目は、あはきの学術のエビデンスの確立の点です。エビデンスの確立のためには、「鍼灸手技療法学科ができたのですから、是非、赤門短期大学を大学と修士課程への格上げが必要で、期待したい。」とお伝えしたことです。今後、赤門短期大学の発展に少しでも助力できればと考えております。 2点目は、県内の同行援護事業所の実情についてです。最近、北上市、一関市の同行援護事業所の撤退が現実になっています。また、花巻市においても、何とか持ちこたえているというような現状にあります。こうした困った環境を改善するためには3点を改善しなければと考えております。 一つ目は、同行援護従業者(ガイドヘルパー)の人材育成です。この点については、当法人で、同行援護従業者養成研修事業指定を受けておりますので、職員と共に工夫をしながらガイドヘルパーの人材育成を図って参ります。 二つ目は、外出時の交通手段についてです。バス路線の廃止やタクシーの配車が困難な地域において、私たちが利用できる福祉有償運送や移送支援の環境を整えていくことです。 三つ目は、県内の同行援護事業所の継続的運営についてです。この点は、難しいのですが少しでも解決に向けた活動をしたいと考えております。今後は、私たちの外出保証の観点から、地域の支部や行政との話し合いをしたいと思います。 結びになりますが、何故か岩手県と北海道がインフルエンザやコロナ感染が拡大しているようですので、十分注意してください。また、あたたかくなってきましたので出没する熊にも被害にあわないように十分気を付けてください。 次の号まで、皆様方には健康でおられることを祈念して挨拶とします。 事務局からのお知らせ 今年は昨年に比べて寒さも厳しく、雪も多かった冬でしたが、2月中旬に入ったあたりから次第に寒さも緩み、暖かくなってきました。これからは三寒四温を繰り返し、次第に春に向かっていくわけですが、引き続き体調には十分留意し、健康な状態で春を迎えたいものです。 ★本協会より2名が社会福祉事業功労者として表彰 去る令和7年10月24日盛岡市民文化ホール大ホールにおいて「第64回盛岡市社会福祉大会」会長表彰の表彰式が行われました。本協会からは法人施設役員10年以上の功績が評価され、金野守理事、佐々木翼監事の2名が表彰されることになり、当日は佐々木監事が式典に出席しました(金野理事は所用のため欠席)。 このたびのお二人の受賞に対し、心からのお祝いを申し上げるとともに、長年にわたる当協会への御尽力に対し、深く感謝申し上げます。 お二方には今後とも当協会のために引き続き御支援、御協力いただきますようお願い申し上げます。 3月の主な行事 3月7日(土)東北視覚障害者団体役員連合会(福島) 10日(火)盛岡視覚支援学校卒業式 21日(土)第7回理事会(10:00〜12:00視福会館) 22日(日)支部長委員会・女性部長会議・青年部長会議 25日(水)苦情解決第三者委員会 (10:00〜12:00視福会館) 利用者研修(15:00〜16:00) ※当日のマッサージは14:00最終受付となります。 なお、4月からの行事、事業については第7回理事会での承認後に決定します。 事業所だより 1岩手マッサージセンター マッサージセンターでは去る2月11日に恒例のお客様感謝デーを実施しました。来場者は13名、事前予約制で20分無料でのマッサージの施術を行いました。 お客様の多くは、チラシ等をご覧になっていらっしゃった方が多かったようです。事後のアンケート結果を見ますと、概ね好意的な感想が多く、新規のお客様の開拓に少しでもつながればと期待しているところです。 2岩手ガイドヘルパーセンターあゆみ いつも当事業所にご理解とご協力を頂きありがとうございます。 令和7年度2月現在事業所活動内容をお知らせします。 令和7年12月26日(金)年末ヘルパー研修交流会開催 令和8年2月1日付け新規登録ヘルパー2名 3月1日付け新規登録ヘルパー2名 ガイドヘルパーは盛岡市内に限定した人ばかりではありません。ガイドご利用を希望される方は、事業所までご相談頂けますようお願いします。少しでもお役に立てるよう対応致します。 3日中一時支援事業所「ジャンプの家」 年が明け、立春も過ぎてようやく春の訪れが感じられるようになってきましたところではありますが、まだまだ油断はできませんね。 冬の間、寒い日や積雪の日もありましたが、ジャンプの家のメンバーは元気に来館して、いつもの活動・交流会を楽しんでいます。 現在、インフルエンザやコロナも流行っているようですが、元気に乗り切って本当の春を迎えたいものです。 〜特集・東日本大震災から15年〜 2011年3月11日(金)午後2時46分、あの日のあの時間にあなたはどこにいて何をしていましたか。決して忘れることが出来ない大きな地震とそのあとの大津波。多くの人々が被災しました。あのときを忘れないために、大船渡・釜石・宮古の方々から「15年目を迎えるにあたって」原稿を寄せていただきました。 あの日のあの時を思い出しながら、お読みください。 東日本大震災から15年 大船渡支部田澤博崇 長いようであっという間に流れた月日だった。15年たった今、住宅の再建や公団住宅の整備も進み、復興道路や港湾施設、大規模な防潮堤が完成するなどハードの整備、復興は進んだと思う。 しかし人口は減り、鉄道は切られ、バスの減便や廃止が続くなど(震災だけが原因ではないが)ソフトの復興やその先のまちづくりについて大きな課題を抱える昨今である。 また月日が流れると共に人々の記憶から忘れ去られるという大きな問題も抱えている。震災を知らない世代が増えてくるなかどのように教訓を伝え危機意識をもってもらうのか、難しい課題に直面している。忘れることがもっとも危険なことではないか。 1960年のチリ地震津波から51年後に襲ってきた東日本大震災大津波。過去には明治や昭和の三陸大津波にも襲われ「三陸=大津波」と言われるほど何度も大津波に襲われてきた地域でもある(今度の津波で3回目だという人もいる)。 いずれ「令和の三陸大津波」が来るかもしれない。そう思い、そのときに備え慌てないために、人的被害を出さないために対応しなければならない。 そしていま心配されるのが能登半島地震で被災した視覚障害者である。特にも視福協に入ってない視覚障害者が適切な支援を受けているのか心配である。一日も早い平穏が戻ることを切に願う。 そして大船渡は大規模林野火災から1年となる。折からの暴風と異常なまでの乾燥により前代未聞の大規模な山火事となり犠牲者まで出してしまった。日本の場合山火事はほとんど人為的なことで発生すると言われている。 改めてこの災害を忘れない、そして二度と繰り返してはならない。これから先どのような災害が起こるかわからない。しかし我々が目指すものは人的被害を出さないことではないか。そのためにも防災、減災について考えていかなければならない。あの悲劇を繰り返さないために。 震災15年目にして思うこと 釜石支部中村亮 東日本大震災発生から15年が経過した。過ぎてしまえばあっという間の時間の流れだが、地域的にも、個人的にも、生活環境は大きく変わっている。 釜石は「鉄の町」ともいわれるように近代製鉄発祥地である。江戸時代末期に鉄鉱石が発見されて以来、明治、大正、昭和と約150年に渡って日本を代表する「鉄の町」として国内外にその名を知られるほどであった。日本が経済的な発展を遂げた昭和30年代、40年代には、人口が9万人を超えていた。町は目抜き通りも裏通りも人の足音が絶えることがないほど活気にあふれていた。 私は幼少期から強度の近視で、小学校3年生から眼鏡をかけていた。網膜の病で20歳で失明したが、漁業、水産業の町として、そして「鉄の町」「ラグビーの町」として、釜石が国内外に知られるようになったことに大きな誇りと満足感まで覚えていたものだった。 その後、大都市圏における運輸交通網の充実と、鉄鋼業の発展に伴い、釜石の人口は年々減り続け、私が治療院を開業した昭和57年には6万人ほどに減少し、それから40年ほど経過した現在では2万8000人ほどである。 特に人口の減少に多大に影響したのは、2011年3月11日に発生した東日本大震災だ。市街地において、高さ4、5メートルにも達した津波は、釜石港から500メートルほどの所にある私の治療室の2階の床上60センチほどの高さに達した。 私は近所の方と一緒に高台のお寺に避難したが、津波が去った後の町の様子を聞くと、とても信じられないほどの町並みの破壊が確認できた。その後、3ヶ月ほどして仮設住宅に移り、自宅の復旧工事を進め、翌年の1月に工事を終えた自宅に戻った。 その後徐々に復旧工事も進んだが、自宅周辺の状況は震災前とは大きく異なり、将来への不安も感じることも多々ある。震災前との違いは、人口減少に伴う、街並みの寂しさだ。建物の数も減り、当然人の流れも小さくなり、寂しい街になってしまったなあというのが偽らざる気持ちだ。それでも、震災後に支援にかけつけてくださった多くのボランティアさんの励ましや、町内の方々のお世話になりながら、今は震災前と同様に治療の仕事に励んでいる。 人口減少に伴い、営業的には多少苦労もあるが、自分の選んだ施術の方法を変えることなく継続できているのは、被災後に支援していただいた多くの皆様のおかげと思い、その意向に是非報いたく、毎日の診療に励んでる。 3.11あれから15年防災を考えて 宮古支部木戸場利雄 早いものであれから15年になろうとしております。誰もがあの時のことが思い出されると思います。私も、約束を果たせることのない約束が心から離れません。あれからだいぶいろいろなことが皆様の話し合いで防災という考えも変わってきているように思います。 さて、「てんでんこ」という言葉を聞くことが防災では必ずといっていいほど聞かれます。ですが、我々視覚障害者の皆さんの「てんでんこ」に対しての考えを聞いたことがありません。今では、視覚障害者の生活には盲導犬や同行援護などを利用して充実した生活を送れるようになっていると思いますが、私も昨年から同行援護を利用して歩いております。一人で歩くよりとても精神的にも、肉体的にも楽ですね。 ですが、私は防災を考え時々白杖で一人歩きをしております。また、部屋にはリュックに靴や手袋やマスクや手動式ラジオ付き懐中電灯を入れて置いてます。「てんでんこ」のためには一人歩きは必要かなと思います。 でも、岩手県には、視覚障害者歩行訓練士がおりません。ぜひ視覚障害者の歩行のために歩行訓練士を採用していただきたいと心から願います。また、年に一度でも視覚障害者同士で「防災」について話し合うことも必要になるのでしょうね。 私は、一人で歩くときには、アイフォンでアイナビ、音声コンパス、スイフトアイ、BeMyEyesなどのアプリを利用しておりますが、災害時にはほとんどネット関係が使えませんでした。今では、あれから15年もたつので、だいぶ変わってきているとは思いますが、それもどの程度変わったかもわかりません。まだまだ私たち視覚障害者にとって防災の考えは話し合いが必要ですね。年をとると頭も体もすぐには働かないですもんね。それは私だけですかね。 また、支部会員の方から寄せられた話で火災避難訓練のことですが、訓練関係者(消防署関係者)が我々障害者を的確に避難誘導できなかったことを訴えていました。このようなことから、消防関係者及び行政側にも災害時に我々視覚障害者も安全に避難できるように訴えていかなければと感じました。 災害はいつ起こるかわかりません。災害時の避難経路を確認して熟知していかなければ、そして、自身の命は自身でまもっていかなければなりません。 福祉協会協力金ご芳名(敬称略。入金順) 令和7年11月〜令和8年1月までの協力者です。 [協力金] 大橋絹子1,000円 [寄付物品] 若生雅文(盛岡支部元会員の故・若生雅代様の実弟) プレクストーク 心から感謝申し上げます。本当にありがとうございました。 編集後記 この冬も何度か雪かきに励む日がありました。2月になって雪が消えて、春の訪れを感じてきました。3月に入ると、あの日を思い出します。15年前のあの日を振り返るために「特集」への原稿をお願いしました。決して楽しい話題ではありませんが、いつまでも忘れないようにしていきましょう。 次号は、新年度に入ってからの発行になります。どうぞお元気で春をお迎えください。 (編集委員:横澤忠・及川清隆・中田一洋・成田優子) ※音声デイジー版の録音は盛内優子さんに担当していただいているものです。